Akiko

🌷トルコの世界遺産カッパドキア在住6年目
🌷ヴィンテージラグショップオーナー
🌷愛猫娘ミーコと2人暮らし
🌷名古屋生まれ東京育ち

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私のお店 "Kilim Designs"について

私はトルコの伝統的な手織り物キリムや絨毯のオンラインショップも営んでいます。2015年ころからここトルコではテロが多発し始め、2016年には手に負えない状態になっていました。トルコは世界でも上位にはいるほど世界中の観光客が訪れる場所として有名でしたが、いつの日かそのイメージはなくなり「トルコ=危ないところ」というイメージになってしまい、世界中の観光客から見放されてしまっていました。世界遺産カッパドキアで暮らしていた私はもちろん観光業をやっていたので、次第にその影響は生活にも及ぶようになり、何か始めなければ生活していけない、日本に帰らなければならないと思いずっと考えていました。ちょうどその時に、トルコの伝統的な手織り物キリムをリメイクして作られたオールドキリムバッグを作っている社長に出会いました。もともとファッションが好きだった私はこれを売りたい!と思いネットで販売してもいいか尋ねると、ちょうど社長さんも観光客の激減で現地での売り上げに悩んでいた時で、すんなりOKしてもらえました。それまではそのオールドキリムバッグは限定された人しか販売することができなかったのです。しかしその頃私はバッグを仕入れるお金もありませんでした。そこでアトリエにあるバッグの写真を撮って載せさせてもらえないかと図々しいお願いをしたらそれもOKしてもらえました。タイミング的にいろいろラッキーだった私はすぐにアトリエにバッグの写真を撮りに行き、ネットショップを立ち上げました。トルコ製とは思えない上質でお洒落なバッグはすぐにいろんな人に買ってもらえて次第にバッグを仕入れることもできるようになっていきました。そうして本格的に私はオールドキリムバッグのお店になっていったのですが、「日本人に自分のバッグは人気がある」と思った社長は、今度はどんどんトルコに住む日本人にバッグを卸売りしはじめ、それはあっという間にトルコ在住の日本人の多くが販売し、どこでも手に入るという価値のものに変わっていきました。そして元の仕入れ値を知らないトルコ在住日本人はいい値のまま買い取りますので、社長もどんどん卸売り販売の価格をあげていきました。その様子に私はどんどんオールドキリムバッグを愛でる気持ちがなくなり、モチベーションも下がっていきました。一人だけ私より先にネットで同じ工房のバッグを販売していた人がいたのですが、その方もその流れに不満を感じ(実際はそれだけではないと思うのですが)取引を止めました。その方はキリムバッグだけを販売していたわけでなくメインが他にあったので潔く決断されていたのですが、私はメインがキリムバッグだったので悶々としながらも生活のために続けなければなりませんでした。でもネットショップをやっている人は分かると思うのですが、自分が販売しているものに対しての愛情や情熱がなくなってしまったら、いくら物が良くても売れません。それで私は少しずつバッグになる前の敷物としてのキリムや、バッグではなくクッションカバーや家具などに姿を変えたキリムの販売に切り替えていきました。その切り替えは同じキリムでもファッションからインテリアにカテゴリーも変わりますので安易なことではありませんでした。しかも普通キリムや絨毯はただの手織りものではなく、ただ写真を撮ってネットに載せてという作業だけでもなく、歴史とか文化とか地理とか部族とかとても深いものがあり、それを理解していないといけないので私のようなおバカがやる仕事ではないのです。なのでキリムや絨毯の仕事をしている日本人の皆さんは頭の良い方が多いのです。それゆえ私にはかなりの無理があるスタートでしたのでそれはそれは頭がパンクしながらのスタートでした。もちろん今でもそのパンク状態は続いていますが、ファッションからインテリアへの切り替えができたので後は勉強していくだけなのでのろのろではありますが、愛情や情熱はふつふつを湧いていますもでとっても楽しいです。一枚一枚眺めて謎解きのように勉強していく時間がすごく幸せです。キリムバッグに使われているキリムに関してはすべて社長さんに産地などを教えてもらっていましたからそれはすごく役に立っています。(それはすごく感謝しています)バッグと違ってキャパシティーが大きすぎる世界ですが、せっかくここトルコに居るのでたくさんのキリムや絨毯に触れて勉強していけたらと思います。そしてその素晴らしさをたくさんの人に知ってもらいたいです。そんなこんなで短期間の歴史ながらもいろいろあって今に至る私のお店ですが、みなさんのお家のインテリアの手助けになるような素敵な手織り物やアイテムを紹介していけたらという思いでやっておりますのでもしご興味がありましたら覗いてみてください♪

私の家族

私はトルコの世界遺産カッパドキアで愛猫ミーちゃんと二人暮らしです。彼女が唯一のここでの私の家族です。でも彼女が私にくれるパワーはとても大きく、私にとっては欠かせない存在です。彼女は私が当初カッパドキアに来たころに住み込みでお手伝いしていたペンションに住み着いていた母猫が産んだ子でした。母猫はミーのほかに3匹の兄妹を産みましたが1匹はすぐにいなくなってしまい、残りの3匹をしばらくペンションで面倒をみていましたが、やがてミーとその姉妹の子が赤ちゃんを産み、数がすごいことになり、ペンションもお客様がいるところでしたからミーの姉妹の家族は赤ちゃんも一緒によそのお家にもらってもらいました。ミーは私がテラスですっと面倒をみていて、男の子の兄妹は外を自由に行き来し、お客様にも可愛がってもらっていましたが、やがて彼にも発情期が来てどこかへ行ってしまいました。カッパドキアは昭和の日本のようで、犬猫の避妊去勢手術ができるお医者さんが少なく、その成功率もとても低く、しかもカッパドキアの人からしたらかなりの高額になるので、滅多にする人もいなく上手なお医者さんの情報を知りませんでした。しかもイスラム教徒なので、イスラム教徒は動物は自然のまま動物として生きることを好み、人間が手を加えることに抵抗を感じる人も多く、なかなかそういった面が発展していかなかったのもあります。一人、猫を飼っている知人に聞いたことがありますが、カイセリというここから一番近い都会の病院で手術させたら亡くなって帰って来たと言っていたため、私も怖くなりこのまま自然に赤ちゃん産ませた方がカッパドキアの暮らしには合っているのかも…とも思い始めていました。しかしやがてミーちゃんが2回目の出産をしました。今度は4匹産んだのです。これはペンションとしてもまた多すぎるので、なんとかしなければと思いながら、お乳を飲んだ方がいい時期までは引き離さないでおきました。やがて少し大きくなり、硬いものも食べられるようになった頃、とりあえず2匹だけよそのお家にもらってもらい、2匹はなんとか頑張って自分の元でミーちゃんと一緒に面倒を見ようと思いペンションに置いておきました。ミーの兄妹の男の子が勘付くといけないと思い、ミーちゃん家族は私の部屋に閉じ込めておきました。が、やはり勘付いてしまい発情ではなくそれで帰って来なくなったのかもしれません。なので彼にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。でもどうしても私は日本人の感覚で外猫よりハウスキャットの方が好きだったのでミーちゃん親子はお部屋から出したくありませんでした。おちびたちには外を知る前にお家に慣れさせておきたかったのです。そうしたらある日、ミーちゃんからサナダ虫が出てきたのです((+_+))これはもうどこか病院でお薬をもらわなければならないと思い、猫好きのお友達とちょうどその時日本から遊びに来ていた妹と一緒に病院探しに行ってもらいました。ペンションを切り盛りしていた私はどうしても外に出られなくて二人に託すしかありませんでした。二人は1軒目を覗いてやっていなくて、2軒目でのぞいた病院が開いていてその薬に関して聞いたらちゃんとそのお薬がありました。しかもその病院の先生は同じくカッパドキアに住む日本人女性の猫8匹を全部手術して成功させたというのです!!その話を妹が帰って来てしてくれて私は嬉しさ半分、不安半分でした。でも実は刻々とペンションを閉める日が近づいてきていて、しかも3匹一緒にずっといたいならおちびの片方は男の子なのでどちらにせよみんな手術を受けなければなりません。もうここはその病院にかけることにしました。周りにはまったく理解されませんでした。トルコ人との文化や宗教、考え方の違いは猫に関してだけでもたくさん感じてきて、悔しい思い辛い思いもたくさんしてきました。私が日本人ではなくトルコ人だったらそんなに苦しむことなく済んだかもしれません。でも私の中で日本で猫は飼ったことはなかったものの、猫を飼うってこうゆうことでしょう???っていういわゆる常識みたいなのがあってその通りにしなくちゃ可哀想とか、人と一緒に暮らしていくにはそうしなければ難しいとかあってそれを一生懸命訴えてきたのですが、そもそも「猫は猫の世界で」という考え方の彼らには猫や犬が家族とかそういう考え方もないので分かってもらえるわけがありませんでした。だって初めはキャットフードを買うことすら白い目で見られたんです。「人間でも食べるものに困っている人がいるのに」と言われました。衝撃でした。。。ま、そんな反対意見を押し切って私はミーちゃんを手術することにしました。当日はすごく緊張して何もできませんでした。日本の病院での手術ならまだしもトルコの田舎カッパドキア。成功率80%と言われました。あとの20%は?????神に祈る気持ちでミーを待ちました。手術は40分ほどで終わった気がします。ミーは生きていました。入院などそんなものはなく、すぐにお家に返されました。とても痛そうなミーちゃん…2-3日はすごく痛そうで私は逆になんて可哀想なことしてしまっただろう…と思いましたが、4-5日したらおちびたちとも遊べるようになり、あまりにも激しく遊ぶので傷口が開いてしまうのではないかと心配するくらいでした。これでやっとホッとできました。数か月後私たちはペンションを閉めることになり、私はアパートに引っ越しました。トルコのいいところはあまり動物禁止のアパートはなくみんな気にしないところ。私の引っ越し先もペット可でした。しかし難点は家具付きだったこと。。。おちび2匹は元気いっぱいで家具を傷つけまくり。。。自分の家具なら全然気にしませんが、私の物ではありません。それと同時にどんどん大きくなっていく子供たちそろそろ手術しなければならないというときに、ミーちゃんを手術してくれた先生がなんと産休に入ってしまいました(+_+)なんてタイミング!!!他の先生なんて考えられませんでした。1つ違う病院で大丈夫そうなところを知っていましたがものすごく手術代が高くその時の私では到底無理でした。しかも2匹。。。家具を傷つけまくること、避妊去勢手術が受けられないことなどから私はとても神経質になってしまい、子供たちに怒ってばかりいました。こんなんじゃこの子たちも可哀想だ…私は子猫たちを引き取ってくれるお家がないか聞いて欲しいと身近なトルコ人にお願いしました。それから1か月くらいして、ちょうど飼っていた猫が老衰で死んでしまい、新しい猫を欲しいと思っている人がいるという話が入ってきました。私はいつも長時間お留守番しているミーちゃんのために1匹は自分の元に残そうと思っていました。しかしどちらをもらってもらおうかどちらも可愛くてずっと決めかねていました。私はそれを誰にも言わなかったのですが、トルコ人の友人がボソッとある日その人が本当は2匹欲しいと言っていたことを漏らし、そんな機会ここカッパドキアではもうないかもしれないと思い2匹ともよそのお家にあげることにしました。本当は日本ならどんなお家にもらわれていくのか調べたり見にいったり飼い主さんに会いに行ったりしますよね?それをしたいと言ったらそんなことトルコではしない!と断られ、どんなお家にもらわれていくのか、飼い主さんはどんな人なのか知ることができないまま、おちびたちをあげるはめになってしまったのです。不安と悲しみでいっぱいでした。産まれた時から6か月間ずっと面倒を見てきたミーちゃんの子供たちにその不安と悲しみのままお別れをしたのでした。。。トルコであること、さらにトルコの田舎カッパドキアであることなどから病院事情、動物に対する考え方の違い、言葉の壁(ドクターとのやり取りが大変だった)、私の金銭状態・生活環境などなどいろんな条件から見て猫3匹は無理でした。とても悔しく悲しかったです。今でも写真をみておちびたちのことを思い出します。でももうミーと二人きりです。寂しさは時間が徐々に解決してくれました。私は一緒に生活できなかったおちびたちの分もミーのことを大切にしようと決めて過ごしています。現に結果的に今の私には1匹が私に合ったキャパシティーです。郷に入っては郷に従えで、時間と共に少しづつカッパドキアでの猫との接し方を理解していきました。そこでおちびたちへの償いの気持ちも込めてオフィスでも1匹面倒をみることにしました。ただしあくまでカッパドキアスタイルです。オフィスの中に自由に行き来できて食べ物は不自由なくあげていました。これもまたトルコのいいところなのですが、野良猫野良犬がたくさんいますので餌やりはやって当然なんです。むしろあげなければという雰囲気です。またこれもイスラム教徒の教えからきているのですが殺処分がありません。だから犬も猫も増え放題で、人間からご飯をもらって生きています。トルコに来たことがある人は知っていると思いますが、人と動物がそれぞれの世界で上手に共存しているんです。もちろん外の世界はとても厳しいものですが、彼らが猫なら猫らしく生きて迎える寿命なら、殺処分されての寿命よりよっぽどいいのではないかと思うようになってきました。ミーとの二人暮らしになるまでの話が長くなってしまいましたが、今私はミーと居れてとても幸せです。